【小説】片想い治療法

片想いする者に寄生して宿主を取り殺してしまう茸。名をニコチン茸という。この茸による病の流行で、人類はやっと片想いの害悪に気づいたという専門家もいる。
この茸に寄生された場合の現在の唯一の治療法は、片想いをやめることである。薬などはない。本人が片想いときっぱりと決別することのみが問題を解決する。そのときに大いに役立つであろう名著「禁恋セラピー」。世界中で大ベストセラーになり、現在でも読み継がれている。
片想いを始める者は皆、つい軽い気持ちで始めてしまう。周りからの圧力も大きい。恋をすれば幸せになれるという信仰は根深く、恋をしていないものは幼稚と見なされることもある。
片想いの相手との逢瀬は苦い。しかし好きになってしまえばもう遅い。どんなに苦くても会わずにはいられない。会っていない期間は会いたいという気持ちがつのる。やっと会える。一瞬満たされる。しかし相手が視界から去った瞬間からまた会いたくなる。そのうち会っている間も完全には満たされなくなる。そもそも相手はこちらに気がないのだ。
ニコチン茸は片想いの相手との逢瀬による一瞬の充足を糧に成長する。ニコチン茸の出現と治療法の研究によって片想いの仕組みが明らかにはなった。しかしニコチン茸の致死能力は然程強くないという研究もある。かつて隠されていた「失恋自殺」が茸による病死という形で表に出てきたという見方もある。
会えば苦しみから逃れられる。早く会いたい。そう思い続ける。しかし好きになる前には途切れない幸せな日常があったはずである。現在の相手に会っていないときよりも会っているときよりも、いつも平穏だったはずである。
あなたは自分の力で片想いをやめることができる。片想いに取りつかれている者にそう言ってもなかなか信じてもらえない。好きな気持ちをコントロールすることなどできないと。しかしそれは可能なのである。
片想いする者は、会えば満たされると思っているだろう。しかし、会うこと自体が、次に会いたいという苦しい気持ちを起こすのだとしたら?あなたがすべきことは会うのをやめることだけである。それであなたは元の幸せな状態に戻れる。
手元に相手のアドレスがあるなら、消してしまおう。三週間を乗りきれば茸による禁断症状も消え去る。それまでに相手のことを思い出すこともあるだろう。そこで思い出すまいとしてはいけない。思い出してしまったらこう思おう。私はもうあの人に会う必要はない!自由なんだ!もう苦しまなくていいんだ、やったー!