【小説】ついてくる

ハロウィンの日にお菓子を貰いにくる子供達の中に、本物のおばけが混じっている。うっかりおばけにお菓子を与えてしまった家は、そのおばけに入りこまれてしまう。

娘が小学校から慌てて帰ってきて、私に気をつけるよう忠告してくれた。学校で流行っている噂のようだ。日本のなんちゃってハロウィンに小学生の無邪気さが加わった他愛もない噂だ。それを本気で心配して忠告してくれる娘が可愛かった。

 

ハロウィンの日、娘はお友だち数人と、近所の親御さん達にお菓子をもらって回った。あの噂なんてすっかり忘れてしまったのか、彼女たちは大いにはしゃいでいる。娘たちのグループはうちにもお菓子を貰いにきた。トリックオアトリート。お決まりの台詞を口にする。ふと、今まで見たことのない子が一緒にいることに気付いた。妙に本格的な仮装で、小学生にしては少しグロテスクすぎる衣装とメイクだ。全身に被ったシーツのような布からそれが透けて見える。しかし新しくできた友達だろうと思い、気にせずその子を含めた皆にお菓子を渡した。

 

お菓子をたくさん抱えて満面の笑みで帰ってきた娘になんとなく聞いてみる。あの布を被った子は新しいお友達?娘は訝った。そんな子はいなかったという。娘はいたずらで嘘をつくような子ではない。きっと、違うグループで回っていた子がはぐれたか何かで娘の気付かないうちに一緒に回っていたのだろう。

 

その夜はなぜかやたらと喉が乾いて、起き出して台所に水を飲みに行った。廊下に人影があった。娘かと思ったがそれより少し小柄だ。よく見ると昼間のあの子のようなシーツを被っている。それがずれ落ちた。体中に引き裂き傷。血がいくらでも流れ出る。傷口からは脂肪まで見えている。これはメイクなのだろうか。それにしてはリアルすぎる。この子がどこから入ってきたか分からないが、本物の傷ならばすぐに救急車を呼ばなければならない。もう少し近づくと、彼女は天井を見上げて高笑いし始めた。近づくのに躊躇する。私は何をしているのだろう。気を取り直そうと目を瞬くと、彼女は消えていた。恐る恐る周りを探したが、いなかった。もう喉の乾きは消えていた。

 

私の顔色が悪いと言って、夫や娘が心配している。実際、なんだかわからない緊張感が常にある。草食動物が肉食動物に見つかってしまった時の全身の血が沸き立つような警戒心。それが常に心臓を高鳴らせ、呼吸を早めている気がする。あの夜見たものは、見間違い、気の所為だと思う。でも、これだけ緊張が続くなら精神科にでも行ったほうがいいのかもしれない。食欲もないしあまり眠れていない。

 

ある夜、耐えきれず夫に全部話した。夫と娘と私は娘を挟んで川の字で寝ている。娘が眠ったのを確認して、ばかばかしい話だと思いながらも私は話し始めた。娘が学校で聞いた噂、ハロウィンの日にお菓子を貰いに来た子、その夜に見たもの。

夫は黙った。部屋が暗くて表情は見えない。夫の言った言葉はこうだった。娘って、だれのこと?私は大いに混乱して、隣で眠っている娘を指し示した。娘はいなかった。トイレにでも行っているのかしら。そう言う私を深刻な目で夫が見る。何が起きているのかわからない。夫はずっと遠くにいる人を見るような目で私を見る。全く理解できない種類の者を見る目で。

混乱、怒り、焦り。頭の中がぐちゃぐちゃになって、それはあの子の傷口から見える脂肪みたいで、私は気付けばシーツを頭から被り、体中を引っ掻いていた。立ち上がるとシーツがずり落ちた。だれもいなかった。目に入る部屋も視界から遠ざかっていった。私はひとり天を仰ぎいつまでも高笑いをしていた。

【小説】物語がなければ生きられない

物語がなければ、呼吸ができない。現実の空気は私を生かすことができない。

 

授業中、教科書を盾にして物語を読んでいた。教師がそれに気付いて本を取り上げた。私は必死で目の前にある教科書の文字を目で追った。歴史の授業中だった。昔の話だが、現実で起きた出来事だ。胸を押さえて椅子から滑り落ち、倒れた私は救急車で運ばれた。ついてきてくれた保健室の先生が本を返してくれなければ死んでいたかもしれない。

 

親は私を連れて病院を回った。いくつかの病院でさじを投げられたあと、一人の医者にこう言われた。ストレスと緊張で肩や胸周りの筋肉が異常に凝りかたまっている。それで肺が充分に収縮拡張せず、呼吸が苦しくなる。本に目を落としながら、意識の端をその言葉が通っていく。

その診断を私は信じなかった。現実の空気自体が私には吸えない組成になっているのだ。そう感じた。

 

私は常に本を開きながら生活していた。片手で本を開きながらもう片方の手で顔を洗う。用を足す。着替える。ご飯を食べる。風呂に入る。慣れているので不便もない。

次に読む本を探す時も片手に今読んでいる本。物語と物語の間を途切れさせることはできない。そうすれば現実の空気が入ってきてしまうから。私は、物語の中の空気を呼吸しているのだ。

 

父のタバコの火の不始末で、我が家は家事になった。私は部屋の蔵書の山に覆いかぶさったまま、逃げようとしなかった。片手には今読んでいる本。背中が燃えはじめる。しかしこれらの本を守らなければならない。これらがなければ呼吸ができないのだから。逃げろという声を無視して片手に開いた本に目を落とし続ける。部屋にはもう二酸化炭素が充満しているはずだ。しかし私には関係ない。実際、ちっとも苦しくない。

しばらくして、私の体は死んだようだった。しかし私は呼吸を続けていた。物語の中で。

【小説】死にたがりの異世界転勤物語

PloomのCAMELを開ける。連れ合いの仕事の都合でこちらに引っ越したとき買い込んで持ってきた、最後の一箱。

こちらには煙草は無いらしい。変な薬があるかどうかはまだ知らない。酒はあるが、私は下戸だ。

ここでの一日は向こうでの三日にあたる。慣れなくて地下室を閉め切って眠っていた。その生活から未だに抜け出せずにいる。というか、私はほとんど地下室から出ていない。

中世ヨーロッパ風の、そこにファンタジー小説のような要素が加わった街並み。刃物を堂々と担いだ粗野な者たちが道を跋扈する。私の知らない不思議な「科学」体系が存在し、こちらとは違う文明を築いている。

最初は物珍しくてそこらを見て回ったりもした。しかし市場で物を買うにはスーパーやコンビニと違いいちいち店員と話さなければならないし、電子マネーも使えない。面倒極まりない。

ここの者たちは元いたところよりも多様である。角や牙がある者、ウロコがある者、耳が長いもの、小さい者、大きい者。それははみ出しものだった私には有難いことに思われた。似た者が集まるから私が異質であることが目立つ。空気が読めなかったり常識が分からなければそこに居づらくなる。しかしここには全体を包む一つの空気などないのではないか。多様な者たちが多様な生活をしている。しかしやはりここでも似た者は集まり、そして私もある程度は似た者の中に無意識に混じり、そこでの少しの違いが亀裂を生む。それに、体が大きく力が強く、牙があるような者と面と向かうとやはり、怖い。差別のつもりはないのだが、最後には力で敵わないと思うと、小さい頃の親に対する無力感を思い出す。

寂しさに行きつけの飯屋などを作ってみたりもしたが、他人との付き合いが疲れるのはどこにいても同じで、だんだん足が遠のいた。

そうして地下室での生活を続けているわけだ。ただただ疲れが続いていて、常に灯りを落として眠れるだけ眠っている。憂鬱が絶え間なく寄せては返す。たまに体を起こしても常にだるい。結局どこにいても同じだった。

どれだけの時間が経っただろう。もう分からなくなった頃、私は自死を決めた。そうしたいという気持ちは元の場所にいた時からあって、何度か試みていた。しかし失敗していた。私は思いついた。元の場所の薬局では薬は少しずつしか手に入らない。武器になり得る物の規制もどんどん厳しくなる。それがここではどうだ。そこらの店先に物騒な刃物や武器が堂々と陳列されているではないか。これは僥倖だ。元の場所で一般人が取れる自死の手段は苦しくて失敗も多いのだ。

私は早速武器屋に向かった。一番痛くなさそうで一瞬で死ねそうな武器を指差し、それを所望した。金は連れ合いが稼いできたものがある。武器屋の店主は言った。

「ギルドカードは?冒険者にしか売れないよ」

 

私はその足で冒険者ギルドに向かい、初級冒険者として登録した。武器屋は果物ナイフのようなしょぼい刃物を売ってくれた。

私はその刃物で動きの鈍いネズミやウサギや水風船に似た生き物を狩り、少しずつ冒険者としてのランクを上げた。そうすることで楽に死ねる武器に近付ける。

いつしか私は魔王を倒しに行く勇者パーティに入っていた。武器屋で手に入れた仕組みの分からない杖は存在を一瞬にして消し去る。私たちは勇者パーティらしくかっこよく魔王を倒した。

そして私はこの瞬間を待っていたとばかりに杖を自分に向けて唱える。イレース!

何も起きなかった。勇者が親切にも教えてくれた。

「あの、それ魔族にしか効かないようにちゃんとセキュリティかかってるよ。だって、危ないでしょ」

【小説】こぎつね

子狐が現れる。そのほんの少し後ろにそっくり同じ形の子狐がもう一匹現れる。二匹の歩くリズムはほんの少し、震えかと思うほど少しだけ差がある。それが何だか余計に不気味だ。二匹の体のうち半分ほどは同じ空間に同時に存在している。ゲームのバグのように、一匹目が二匹目に、或は二匹目が一匹目に埋まって突き破って重なっている。二匹は全身半透明である。どちらも同じ濃さで、どちらも同じくらい正常で同じくらい異常だ。

こん、こん、と人間が下手くそな朗読をするような音をたてる。それは虚だ。恐ろしい獣が生まれる始まりだ。

【小説】赤い目の狐達

赤い目の狐が二匹、こちらを見ている。彼らは目を光らせて毛を逆立てて怒っている。私を睨みつけている。中庭の向こうから。私には彼らがなぜ怒っているのか分からない。

小さい頃にも私はこの狐達に会っている。その時も彼らは怒っていた。しかし幼かった私は向こう見ずで、彼らにかかっていった。小さな体はばらばらに食いちぎられ、私は噛み殺された。

それから私は怒りというものが怖い。機嫌を損ねている者が怖い。人と接するのに、慎重すぎる人間になった。恐怖ゆえの明るさと笑顔でもって人と接した。不機嫌のにおいを敏感に察知しては怯えた。

中庭で狐達を見てから、彼らの幻影が私につきまとった。私の視界に彼らは住み着き、常に私を怯えさせた。心臓は常に警鐘を鳴らすように高鳴り、そのうち止まってしまうのではないかと思えた。

【小説】夢一夜−ギロチン窓

歯を全部マニキュアみたいに綺麗な色に塗ったおじさまが、ホームの端に足を投げ出して座り、葉巻をふかしながらおしゃべりしていらっしゃいました。
私たちはおいたをしたので捕まって、お部屋で過ごしていました。でもここには女の子ばかりですし、みんな薄着でのんびりだらだらしていました。みんな、悪い子たちです。
私は隣にいた一番仲の良いお友達に不意打ちでおクスリを注射しました。お友達はだんだんおクスリが効いて大きな声で笑い出しましたが、でもおクスリが効き出す前から私とお友達はこの悪戯が面白くって、顔を見合わせてくすくす笑っていたのです。
お友達は部屋を飛び出して走り出しました。小さな扉や窓を上手にくぐって進んでいきます。私たちも彼女についていきました。お友達は人がたくさんパーティーをしているお部屋に出ました。そこにいたみんなが彼女を見て口を覆います。私が彼女の服を脱がせて肌着にレース一枚の格好にしておいたからです。
お友達は恥ずかしくなったようで、その部屋から逃げ出しました。走って走ってお風呂場に辿り着きました。お風呂場ではそのおうちのお坊ちゃんがお風呂に入っていらっしゃいました。筋肉隆々の体に物をたてていらしたものだから、お友達は我慢出来なくなってしまって、お坊ちゃんと交わろうとしました。でも私や他の人たちが見ていたので見えない場所を探して探して、お坊ちゃんの手を引っ張って走りました。ようやく見つけた狭い隙間のギロチン窓を開けたところに足を突っ込んで、お坊ちゃんを背もたれにしてお友達がお膝に座って交わりました。でもギロチン窓が落ちてきてお友達のお膝はほとんど千切れてしまいました。また騒ぎになりそうになったので、お友達は逃げました。千切れそうな足で走りました。ぱくぱくする傷口から伸びた血管が揺れていました。

【小説】パパとソク

自分のことは自分で。人に迷惑をかけてはだめよ。そして人を助けること。
ママはソクに言いました。
ママ自身もそうしていましたし、ソクも小さいころから全部自分でしていました。ごはんを作ったり、服を縫ったり、内職でお金を稼いだり。宿題を写させてと言われれば写させてあげました。でもどうしても困ることもありました。内職の仕事がなくなってしまい、ご飯の材料が買えなくなってしまったり。ママの教えはきっと正しいけれど、そんなときはどうしたらいいのかなとソクは思っていました。
あるときソクはパパのところに行きました。会ってすぐにパパは言いました。
その家具の隙間に入ったコインを取ってくれないか。パパの手じゃ入らなくて。
ソクはコインを取ってあげました。人を助けなさいとママも言っていました。それからソクとパパは一緒に車で出かけました。賑やかな街で車を駐めて、パパは車椅子に乗り、ソクは歩いて、一緒に散歩をしました。パパはソクに色んなことを頼みました。段差でパパの乗っている車椅子のペダルを踏んで前輪を持ち上げたり、とどかない位置に台があるお店屋さんとのやりとりを手伝ったり。散歩の途中でソクは眠たくなってしまいました。仕事探しで忙しくあまり眠っていなかったのです。ふらりと倒れかけたソクをパパは膝に乗せて、車に乗せてパパの家まで帰ってきました。目が覚めたソクはパパに謝りました。
迷惑をかけてごめんなさい。
パパは不思議そうな顔をしました。そういえば、とソクは思いました。ママの教えをパパは守っていない。パパはソクにとても自然に頼み事をした。自分で自分のことをしていない、と。ソクが尋ねるとパパは言いました。
ママは人を助けろと言ったんだね。それでソクはお友達に宿題を写させてあげたりパパを助けてくれたりした。でも助ける人がいるということは助けられている人がいるということだよね。学校のお友達やパパがそうだ。助けられる人がいないと、助ける人もいないんだよ。だからソクが助けられる人になるときがあってもいいとパパは思うな。
ソク、服の裾がほつれているね、直してあげよう。
ソクは戸惑いながらも、おねがい、と言いました。人にものを頼むのなんて初めてなのでドキドキしました。
ソクは実は裁縫が得意ではありませんでした。すぐに針を指に刺すし、布は縫い目に沿ってよれてしまっていました。そんな服を周りに見られるのを実は少し恥ずかしく思っていました。
ほつれをきれいに直しおわったパパが言いました。
ソクはママに裁縫を習ったのだろう。ママも裁縫は苦手だからな。パパがやると言っても断られたっけ。ソク、パパが裁縫教えようか。
ソクはさっきよりは少し自信を持って、おねがい、と言いました。