【小説】暮らし

妻が異星人をホームステイさせ始めた。そのすぐ後に妻は死んでしまった。
僕は異星人と二人、家に残された。
異星人は我々と同程度の知能を持つ。その人は日本語も習得している。食べ物は我々と同じもので問題ないようだ。
元いた星の大気の組成は地球と違うため、宇宙服のようなものを着て呼吸できるようにしている。地球の昔ながらの宇宙服とは形が違い、ひしゃげた星形、まるでヒトデのキャラクターの着ぐるみを着ているような格好だ。わりと鮮やかなオレンジがかった黄。デフォルメしたシンプルな顔のようなデザイン。なんとも、どうにも、着ぐるみだ。
中身がどんな形なのかは見たことがない。その人の自室入り口にはハッチがあり、その中は故郷の大気組成と同じにしてあるようだ。なので自室では着ぐるみを脱いでいるのかもしれないが、室内が見えるようにはなっていない。外壁にも窓はない。
異星人を住まわせるのは一応違法ということになっている。しかしほとんど形だけの法律で、罰則もない。実際住まわせている家も結構あるらしい。ただし家から出すことだけはよろしくないという不文律。よってうちのこの人も家の中だけで暮らしている。
自室で何か在宅ワークをしているようで収入もあるらしい。ネットで買い物をしている。宅配物を僕が代わりに受け取る。
妻が生きていたころは、僕が仕事から帰ると一緒にズボラ飯を食べ、テレビを見ながらくだらない話をした。今は僕が帰るのと前後して異星人も部屋から出てくる。そしてやはりてきとうな夕食を食べ、テレビを見て話をする。妻より口数は少ないが着ぐるみを通した少しくぐもった声でなかなかウィットに富んだことを言う。そしてその人は自室に戻り眠り、僕も僕の寝室で眠るのだ。

【小説】ペットロボットの始まり

私は救われた。泥沼のような人生から。救ってくれた人は私をそばに置いてくれた。

でも私は既に壊れていた。染みこんだ泥は私を包み、毎秒が痛かった。

私を救ってくれた人は言った。僕には君が必要だ。それはきっと本当だと思う。私がいなくなればこの人にも大きなヒビが入るのだと思う。でも私は毎秒が痛い。そしてこの人は気まぐれで、時たま私を必要とするかと思えば、ほとんどの時間私は一人で置いておかれる。痛い。痛い。痛いから本当はもう消えたいのだけれど、生きている理由は恩人を裏切れないから。だから私は自分にスイッチを付けた。そしてその人に言った。必要なときだけ、オンにしてください。

【連想散文】映画「安楽死特区」

見てきました。
※ネタバレ含みます※

 

なんというか、切り取り方が今の自分にピンポイントというか、くらんけさんが一旦浮世に出戻った最大の理由とも同じなのだけれど、私のポンコツ脳と心中しない限り終わらないこんな毎日を終わらせたいという気持ちと、そばにいるこの人を悲しませるのは本望じゃないという気持ちの間での揺れ。死にたい側目線でいうとということなのだけれど。今私の死への気持ちの諸々はほぼそこに収束している。というかそれが今自分の中で焦点というか、それなのだとちょうどあぶり出されたところだったというか。

 

私はさほど重くないメンタルのみの疾患持ちで、たとえ日本で安楽死が合法になろうともスイスに行こうとも死なせてもらえないだろう。オランダ国民になっても無理だろう。
ただ、若年性認知症の遺伝子は濃い。私がまともに(現在言われる所の)安楽死に関係あるとすればそこくらいだ。メンタルの疾患だって、もし劇中のような世界で私が死にたいと訴えても却下されるだろう。薬は増えるかもしれないが。
そんなやつが自分ごとみたいに安楽死について語るのは誤解を生むかもしれない。自分の話ではないと言っておきたい、けれど、死そのものについてもっと皆で語り合えればいいのにねとは思っている。。
と、思ったけれど誰だっていつ病気や事故にあうかわからないわけで。誰だって自分ごとだった。もちろんそれらによって私が見送る側になることだってあるだろう。
今一緒に住む家族ほどではないが大切な人達が亡くなる前、上手く接することができなかったとよく思う。私が人生の天敵の一つだと思っているのが退屈なのだが、入院したり身体や脳が弱ってもできるだけ退屈しないまま逝ってほしい。できそうな遊びを提案したりしてみるのだが空回りしている気がする。あと、病気の話ばかりしてしまったり。結局普段どおりの雑談をするのが一番いい気がしてきている。
ところで私は、自分の手で食べ物を口に運べなくなったら、食べ物を調達できなくなったら何もしてくれるなという文書を書いているのだが、家族はこれを守ったら捕まるのだろうか?

 

愛による自殺幇助については森鴎外高瀬舟」が描いているし、「完全自殺マニュアル」が出る前から太宰治は自殺はお守りと言っているし、人間は同じようなことをずっと考えていて、また考え尽くせない難しく狂おしい問題なのかもしれない。あるいは世代を越えて考え続けて世界レベルでは少しずつ前に進んでいるのかもしれない。
(関係ないけれどTwitterで菜食について同じような問答が延々繰り返されるずっと前に宮沢賢治「ビジテリアン大祭」が答えてくれている。)

 

片方が死を迎える二人の話で思い出したのはどちらも原作は漫画、「メイドインアビス」ミーティとナナチ、「死役所」カニすべからくの二人(「死役所」は他にも多数)。
あと沖田×華「お別れホスピタル」も良いよ。

 

さて作品について。
ヒロインが声が出なくなるの何だろうと思っているかたもいるかもしれないが、あれは精神的にまいるとなるやつだ。たぶん嗄声。私ですらなったことがあるのでわりとあることなのだと思う。
オルゴール商人の妻は、夫の人生は自殺とかその他とかで片付けられるものではないと言っていた。少なくとも彼女は自殺は心の病気でするものだと、まともな意思で選択する安楽死とは別物なのだと思うのだろうか。
三味線おばあちゃんの子供の話。少し出生のことも考えさせる内容になっていると思うが、作者の意図はどうなのだろう。そして彼女の今死にたい理由は病による苦しみではなく考え方だ。それを貫くために死ぬことが認められるようになればどんなにいいだろう。
主人公が安楽死を希望し始めたとき自分より先に医師に告げられたヒロイン。あの時の部屋に戻って取り乱している様子がリアルだった。主人公が部屋に戻る途中眠りそうになっているのも、ヒロインの怒り方も。でもヒロインは風呂掃除や洗濯をしているとき、主人公の話を聞いてくれなかったものな。それを主人公が言い返さないのは弱ったからだけでなく、元々そういう関係性な二人な気がする。ヒロインの突き進む強さ、主人公の柔らかい強さ。
キャッチコピーになぞらえるなら、死にたい側は愛のために苦しみを我慢するか、相手の死を受け入れる側は愛のために寂しさを我慢するか、だと思う。
主人公の言う、まだ気持ちを伝えられるうちに死にたい、それは三味線おばあちゃんと同じく考え方なのでまた少し話が違ってくる、多分。
リリックが浮かぶことが希望だった、と言う主人公。私は何ができなくなればもういいと思うだろう。(まだできることはたくさんあるがもういいと思っているけれど。)言葉か音楽か。そして庭に出てもビールが飲みたくならなかったが、死のうと思ってからビールが飲みたくなった主人公。
ラストのダンスシーンは賛否あるだろうが、私は大好きだ。オープニングとの対比も含めて、そもそも死ぬことって不思議すぎる。生きていることも。意識とか「わたし」って今の科学がまだとどいていない領域だ。あのシーンわけがわからないと思ったら多分それが正解だ。そもそも人の意識も生き死にも訳がわからない。でもなんか力強い。自分が何なのかもわからないままで、苦しむ私たちの、極限状態の一人が紡いだ精一杯のリリック。ビート。その共有。曼荼羅みたいに整然とはしていない、美しくはないかもしれないけれど打たれる何か。生、死。原始的な領域で踊る理性。
あとくらんけさんの顔出し度合いが絶妙でちょっと面白かった。

 

夫と映画を見た帰り、「ヒロインは恋人を吸い殺した(という解釈でいいのかな、あの場面は。)けど、あなたもあれくらいの愛を持ってくれたらな」と冗談で夫に言った。
(彼は「頼むから死なないでね。縛るみたいで悪いけれど」と言ったことのある、平均に比べてとても理解のある夫である。)
しかし直後に酷いことを言ったと思って謝った。幼いころ、母が私に命じて自殺幇助させようと首を絞めさせたときの気持ちがよみがえった。

 

また、私自身は死を求めているのに、動けない人に死なないでほしいと思ったこともある。
父は認知症片麻痺で心身ともにかなり症状が進んでいる。(私は家を出ていてほとんど介助に関われていない。)言葉は理解していないだろうし目に表情が灯る以外はおそらく不随意運動だ。そんな父がどんな反応をするか見たくて彼をのぞき込んで歌を歌った。歌の途中で口笛を吹いたとき、父の表情が変わった。口笛を初めて見た子供のような驚きと好奇心で満ちた目だった。昔父に口笛を教わったときの私もこんな顔だったろう。その父の表情を見たときの私自身の驚き。父は子供のころの私のような気持ちに今なってくれているのだろうか。私は彼をそんな気持ちにさせることができたのか。なんて楽しいことだろう。そんな気持ちを与えてくれる彼に生きていてほしい。すぐよだれが口元に付いて不快そうでも、食事の度にかなり疲れていそうでも。そう思った。

 

また、父は認知症初期のころに胃瘻拒否の意思を家族に伝えている。父をとても愛している母は最近言う。彼が口から食べられなくなったとき、本当に自分は胃瘻を断れるだろうかと。(やはりヒロインほどの度胸を皆に求めるのはハードだった。)意思を示せたころの本人の言葉ではなくて、食べられなくなった時点での家族の言葉で決まるのだ。これだけでもなんとかならないのだろうか。政治家から案が出ても「医療費削減のためでしょ?酷い」これで全部潰されてしまうのか。父が自分で言っているのに、ただでさえ辛いであろう母が「自分の言葉で決まった」と背負わなければならないのか。

 

帰ってから夫に「私が("その時"が来たら)自殺するのと安楽死するのと尊厳死するのとどれがまし?」と聞くと夫はあきれた笑顔でため息をつき、夕食を食べ始めた。
私たちは既に、何かあったとき胃瘻と呼吸機を望むかどうかは話している。それでもこんな夢混じりの話をする私はエゴで夫を傷つけているだろうか。
希死念慮が高まったとき、一度は練習を繰り返しながらも夫を裏切れず話した。もう一度は隠れて実行(そして自分のミスで失敗)した。
安楽死は自殺できない身体の人の希望の光でもあるが、その形式上「周りと合意した上での"自死"」という夢も見せてくれる。
だけどたとえ話し合えた所で(有難いことに)夫が私を要らないと思うようになるビジョンは見えないし、私が後腐れなく夫を裏切れるほど彼を嫌いになれるビジョンも見えないのであった。

【小説】夢一夜「デスクライト」

大学受験の年、あるときから勉強がどうしてもできなくなった。勉強は好きなほうだったと思う。否、おそらく大好きだった。それに、当然しないといけないと思っていた。
机に向かってテキストや問題集を開くべきだ。今日の予定をこなすべきだ。しかしなぜかどうしても嫌で嫌でしかたがない。何故だか全くわからない。怪我した身体が動かないかのように気持ちが動いてくれない。やらなければ。やれ、自分。そう思うだけで涙が出てくる。どうしてもものすごく嫌なのだ。
大学に進学することはできなかった。親や親戚の目が痛かった。何かしなければいけなかった。小説を書いては賞に出した。落ちては賞を探して書いて手当たり次第送った。また周りの声。そんなことで食べていけるのか、夢を見ていないで堅実に働け。言われた言葉が頭に留まりこだまする。小説で認められるしか自分に残された道はない。ドロップアウトした自分は普通に働くことはできない。狭き門だ、芽が出る可能性は非常に低いとわかっている。それでもそれ以外道はない。
書く、何も無い。書く、一次審査で落ちる。飽きるほど繰り返した。まだ進む以外ないことはわかっている。けれど、一縷の望みに賭ける格好をしつづけて、否、本気でやっているのだが、人生どこにも繋がっていなくて小さなデスクライトの薄明かりを除いてどこまでも続く暗闇、狭くて居心地の悪い場所。
大きなトラックが近づく。これに引かれれば一発で死ねるだろう。細い細い歩道の脇は崖。ここから落ちても死ねるだろう。そんなことを考える。

【小説】ガラスの靴

妻の叔父の棺にはガラスの靴が入っていた。葬儀の後、あれは何だったのかと妻に聞いた。
叔父が若いころ、ガラスの靴を履いた女が訪ねてきた。鶴の恩返しか雪女みたいに自然に。女は笑った。「一日でいなくなったりしないから安心して。」二人は共に暮らした。十何年か経ったころ、叔父が外から帰ると女は死んでいた。ガラスの靴と、その下にメモ。時間が来ました、と書いてあった。
その後、叔父は愛する人ができ結婚し、幸せに老死したのだと妻は言った。

 

 

【小説】恵まれたマモノの呟き

欲しいものが手に入らなかったことはありません。お料理も毎日最高のものが出てきて服も本もいくらでも買えます。周りの方々もいい人ばかりで私は皆さんが大好きです。寄付をした先の方々から感謝の手紙が届くのも有難い。そんな毎日が惨めで寂しくて悲しくてどうしようもなく憂いので早く死んでしまいたいのです。

【小説】シリコダマのない男が語った話

この辺の川にはカワネコと呼ばれる生き物が生息している。エリマキトカゲが腹芸をしているような姿でちっとも可愛くないし時々人に向かってくるので害獣扱いされている。

先日、端末をうっかり川に落としてしまいYシャツとスラックスの裾をまくって不格好に探していた。後ろを何か通っていったと思ったらカワネコだった。何匹か集まっている。端末は無事見つかった。しばらくしてまたその辺りを通ったとき一匹のカワネコがよたよたと歩いてきた。どうやら着いてくるらしい。家まで来てしまったのでなんとなく飼ってみることにした。カワネコを飼育するなんて普通は研究者くらいだろう。

触ってみると、カワネコの頭部の骨は他の部分より少し硬い。そういえばこのカワネコが実はカッパなのだと言っていた子供がいたっけ。こいつのことはカッパと呼ぶことにした。

 

しばらくカッパと暮らした。しかしカワネコの寿命は短いらしい。生態を調べて餌をやっていたがすぐに弱ってきた。あるときいなくなったと思ったら川辺で倒れていた。一応連れて帰ったがもうほとんど動けなくなっていた。

少し前から頭を引っ掻いて傷を作るようになっていたので、ペット用の保護布を当ててやった。しかしもう引っ掻こうともせず、餌をやればゆっくりゆっくり口を動かす以外はじっとしている。ほとんど眠って過ごしているようだ。元気なころのカッパはこころなしか少し苛立って見えた。それが今はなんだかまるで悟ったように静かだ。腹芸みたいな顔がいつも微笑んでいるようにさえ見える。そうしてカッパは無限遠まで続くデクレッシェンドのように過ごし息をひきとった。