【小説】あたし、セミとり、すきやねん

 みどりのはっぱをいっぱいつけた木立のかげをぬけ、団地の階段を、とも子ちゃんは汗をかきながらかけあがります。
「おかあさん、ただいまー」
「おかえり、とも子。きょうのテストどうやった?」 
 とも子ちゃんがテストをとりだして見せると、お母さんはまゆをしかめていいました。
「もうちょっと、なんとかならんかしら」
 とも子ちゃんはいそいで宿題をすませ、げんかんをとびだしていきました。

 団地の中庭は、たいようにやかれて今にもゆげが出そうです。とも子ちゃんの手には特製のあみと虫かご。声をひそめて木に近づき、そっとあみをさしだしました。
 すると、ころり、ころり。
 木にとまっていたセミが、みるみるうちに、あみにすいこまれていきます。
 ころり、ころり、ころり。
 あっというまに、かごはいっぱい。
 この夏、とも子ちゃんがとったセミは、九十九匹。あと一匹で、百匹です。

 ちょうどそこに、けんたくんがやってきました。そしてとも子ちゃんを見て、いいました。
「やーい、とも子がまたセミとりしてる」
「けんたなんかにかんけいないやろ!」
 けんたくんは、わらいながらにげていきました。
 とも子ちゃんは、あみをかまえなおしました。百匹目のセミが、目のまえの木にじっととまっています。それなのにそのまま、あみをおろしてしまいました。ふと、つまらなくなってしまったのです。とも子ちゃんは、虫かごのふたをあけました。あつめたセミたちは、あっというまに空にちらばってしまいました。

 いえにかえったとも子ちゃんに、お母さんがいいました。
「きょうははやいね」
セミとり、もうやめてん」

 夏休み、とも子ちゃんはすることもなく、毎日たいくつしていました。たえまなくひびくセミのこえに、お母さんがためいきをつきました。
「よけいあつくなるわね」
 とも子ちゃんはまどの外に目をやりました。セミたちは、あいかわらず元気にとびまわっています。
 とも子ちゃんは思いました。あの子ら、だれにもほめてもらわれへんのに、たのしそうに生きてる。

 とも子ちゃんは、しまいこんでいたあみと虫かごをひっぱり出しました。そして、階段をかけおります。

 中庭には、すでにセミとりをしている男の子がいました。近づいてみると、けんたくんです。
「あれ? けんた、なにしてんの?」
 ふりかえったけんたくんは、ちょっとおどろいて、それから、かおを赤らめました。
「ほんまは、おれも、セミとり、したかってん。とも子が、あんまりセミとりうまいから、うらやましかってん」
 そして、けんたくんは、おもいきっていいました。
「なぁ、おれにもセミとり、おしえてや」
 とも子ちゃんは、にっとわらってこたえました。
「ええで。セミとり、いっしょにしよ。あたし、セミとり、すきやねん」