入院した翌日の昼に退院となった。駆けつけた田舎の親も一旦ホテルへ帰り、連絡の溜まった携帯端末を見る。一つ一つ返信をしなければならない。カレンダーに書き込まれた予定の多さは未遂前と何も変わらない。
気を張って予定をこなしていたときも、据わった目で自殺を決めたときも、決行している最中も、入院中も無かったちゃんとした苦しさが初めてせきを切ったように湧いた。私は一度に考えられることが少ない。予定や溜まった連絡はカレンダーや端末を見ながらでないとちゃんと認識できない。決行から退院まで、私の頭からは忙しさの実感が抜けていた。
日付が早い順にキャンセルやら負担軽減のお願いのやり取りをしながら、やり取りするのが辛くて泣いた。
結局ほぼ全ての予定をキャンセルした。わりと苦しかったようだからそれで良かったと思う。結局当座の苦しみをしのいだ形にまたなった。どう頑張ったってまた同じことになる気がする。そうならないように最大限の工夫はするけれど。
急にできた空白の中で、気力体力の無さと眠さの中で、関わっていた人たちの生ぬるい優しさとふと出てくる辛い記憶と混乱の中で、時々どっこいしょと引継ぎに出かけたりなんとか最低限の家事をしたりしながら、よくわからない無題の日々を過ごす。
苦しみは当座にしのがれただけだし、今の私はどこまでも役立たずででもそれにももう慣れていて、こうしていればすごく辛いわけでもないが、なんとか暇潰しになりえるくらいの楽しさが感じられるか、眠っているか。
忙しくて買い物のあと袋から出していなかった荷物なども少しずつ片付いている。
また外に出始めればたちまち元通りの地獄に戻る気がする。元気が有り余るまではとりあえずこのまま木偶の坊な日々を過ごそう。元に戻らない為の細心の注意の払い方を考えながら。
私の入院中に家人は吐瀉物と血で汚れた床を拭いたり血まみれの服を洗ったりしてくれていた。
一月半ほどの時が経った。引継ぎも終わって時々ある用事に回らない頭に鞭打ち四苦八苦しつつ出かけ、低空飛行で上下する体調に振り回されている。ここからずっと抜け出せないのではないかという気がするときもある。もう終わらせてしまいたい、とまた思ったりもする。しかしまだその元気すらない。どうすればいいか考えたり考えなかったりしながら、重い頭と身体で無表情になったり能天気になってみたり空元気で笑ったりしている。