【小説】マイクロバイオーム

 俺の部屋と外界を隔てるドアの外に、夕飯の乗った盆が置かれた。親が俺の名を呼び、食べるよう言いつけて去った。

 高校を一年足らずで退学した後、この生活はもう三年ほど続いている。嫌いな人間と接していると、頭が壊れそうになる。そうして逃げてきてここにいる。一人は苦しい。周りに人がいないのではない。周りに接したいと思える人がいないのだ。それは多分、無人島で一人でいるのと同じことだ。階下にいる家族や窓の外から聞こえてくる人の声。それらは理解不能で不穏な風の音と同じだ。親と最後に顔を合わせたのももうずいぶん前だ。一人でいると、空気がどんどん濃くなってくる。俺の吐いた息をまた俺が吸って、この空間をずっとぐるぐるしているような気がする。何もしたいことはないのに時間はゆっくりゆっくり漂う。眠れば少しは時間は消費されてくれる。その間は、生きているのを忘れられる。

 俺は外に誰もいないことを音で確かめ、嫌いな野菜と納豆と酢の物を残して肉と米だけを食べた皿をまた外に出し、急いでドアを閉めた。運動不足の硬い体を横たえてまた眠ろうとした。その時、

「ちょっと~~!あんたいいかげんにしなさいよ!!」

 突然知らない女の子の声。しかも一人ではない。口々にそうよそうよと言いあう声が、耳のすぐ近くから聞こえる。孤独のあまりついに幻聴が聞こえたか、あるいはもう夢の中か。しっかり眠ろうと寝返りを打った。ぼやけた視界に、たくさんの小さな女の子が映った。何兆人もの小さな女の子が俺の視界を埋め尽くしていた。みんなご機嫌斜めな声で、俺を上目遣いににらんでいる。ぼんやりする俺にかまわず、女の子たちは話し始めた。

「私たちは細菌。そこらにいる細菌じゃなくて、みんなあんたの中に住んでる細菌よ。あ、でも今見えてるのは外に出てきたからとかじゃなくて、ちゃんと本体は今もみんなあんたの中にいるわ。いなくなったらあんた多分死んじゃうし。これは思念みたいなもの。さしずめ、生霊みたいな。そう、文句があるからこうして現れてるのよ。あんたがあんまり酷い生活してるから!運動はしないわ、野菜食べないわ、あんた私たちのこと何だと思ってるわけ?自分一人で生きてるなんて思っちゃいないでしょうね。あんただって、知らないうちに気分が落ち込んだりテンションあがったりすることはあるでしょ?それ、私たちだから。憂鬱や高揚が自分の知らないところからやってくる、でもそれは脳の中の無意識とかそういうところが源なのだろうな、とか思ってた?違うわよ。私たちなの。そりゃあんたと別固体の生き物である私たちがやってるんだから、知らないところから来るってなるわよね。

 私たち、ずっと一緒にいるんだから。別に、あんたなんかと一緒にいたくているわけじゃないんだからね!でも、くやしいけど私たちはあんたと一緒じゃないとだめなの。あんただって私たちがいないとだめなのよ。だから…少しは私たちのこと労わりなさい。

 ちゃんと規則正しい生活して、食物繊維と発酵食品、私たちにちゃんと食べさせなさいよね。そうじゃないと私たち、あんたにいい目見させてあげられないじゃない…。」

 何兆人もの女の子たちが、こちらを見ていた。

 俺は知らなかった。俺の中にこんなにたくさんの細菌がうようよ生きていたなんて。そして俺は知った。俺は、一人じゃなかった。

 

[end]

 

と見せかけて続く↓

【小説】続・マイクロバイオーム - 惹句と豆喰い