【小説】物語

僕には書くことしかできなくて
うまく書くこともできなくて
うまく伝えることもできなくて
こうしてありのままを書いていることしか…
でも、僕は、僕は君が


1991年、春、
マンションのベランダで洗濯物を干す。

どんな世紀の大チャンスも、今の僕には無用の長物だ。
僕をじらすだけだ。
この状況下においては。

僕は、恋をしてはいけない、と、自粛している。
したはいいが少しばかり気づくのが遅かったのかもしれない。
僕のやってきたことは、世間に言わせれば十分豚箱行きらしい。
それが今もこうして平和に暮らしていられるのは、僕の気まぐれな運がここぞとばかりに集結して、僕を救ってくれたのだろう。

遅い初恋は中学のころ。
ちがう学校の、一クラスに三人はその子を好きなやつがいると言われたすごくかわいい子だった。
ぼくはもちろん毎日その子に会いたいから、彼女の学校の門の前で待つのを欠かしたことはなかった。
(もちろん話しかけたりはできない。)
そうやって彼女の後姿を見ていれば幸せだった。
なかなか校舎から出てこない日は、中に入ってさがしたりもした。
ところが彼女にはかねてからの想い人がいて、僕が彼女に話しかけようとした日に彼女はそいつと二人で僕の前を楽しそうに笑いながら通りすぎていった。
それからまもなく彼女はどこかヨーロッパの国へ引っ越してしまった。

高校生になった僕は塾で同じクラスの子を好きになった。
また不幸なことにその子には二年付き合っている彼氏がいたのだが、さらにそいつは僕と仲がよかったのだが、そんなことは問題じゃなかった。
僕の計り知れない愛の前にはどんな状況もあまりに無意味だった。
数ヵ月後、僕とそいつの縁が切れたのは言うまでもないし、彼女はそいつと別れ、僕は彼女に警察に突き出されたが、僕は何も悪いことをしたとは思わなかった。
僕はただ彼女が好きだっただけだ。

今こうして恋の自粛を決心するまで、あのころからさらに数年たっているのだが、その間のことは語るまでもないだろう。
今だってこれまでのことを悪いとは思っていないが、世間がそう評するのだから仕方がないといえば仕方がない。
僕はただ普通に人を好きになっているだけなのに。
まぁそれでいい目を見たことは一度もないけれど。


1995年、夏、
一階のコンビニで夕食を買う。

まだあの自粛は続いている。
ただ、少し息が苦しい。


1997年、冬、
雨の日に屋上で君と出会う。

あれから僕はほとんど家にこもりっきりだ。
なぜなら家を出れば君に会ってしまうかもしれないからだ。
何せ同じマンションに住んでいるのだから。
そして僕はこれ以上君を見ればきっと――


1998年、冬、
さすがに空気が悪いので一ヶ月ぶりに窓を開ける。

想いがあふれるという言い方をするだろう。
僕のあふれる口はもう開かなくなってしまったらしい。
最初は気のせいかと思ったのだが、今でははっきりわかる。
視覚や聴覚や感覚みたいなものが鈍っているのだ。
このごろは物も食べられなくなってきた。
僕の中で日増しに広がっていく何かが、僕を埋め尽くそうとしている。
それが、僕の中に入ってこようとするほかのものを押し出し、なおも膨張し続けている。


1999年、冬、
君に、手紙を書いている。

――――
この手紙で僕は、君に助けを求めているのかもしれない。
信じられないかもしれないが、僕は今、とても不思議な存在になっている。
”想い”の塊…とでも言おうか、”想い”しかないから、今僕はそれ以外の何もうけつけない。
想いが僕を満たし、僕自身それに飲み込まれてしまったんだ。
でも、最近気づいたんだ。
何も取り込むことはできないけれど、書くこと、だけはできるんだ。
なぜだかわからないけど、僕は書くことで想いを吐き出す口を開けることを見つけた。
それから僕はずっと書いているんだ。
吐き出しても吐き出しても、何も見えない。
もし君が返事をくれたとして、僕はそれを読むこともできない。
できるなら今すぐにでも君のところへとんでいって、想いをうたいたい。
抱きしめたい。
でも、それもできない。
僕には、書くことしかできない。
書いていて、ふと、それを君に宛てることを思いついた。
そうしたらいつか何か見えるようになるような気がして。

僕には書くことしかできなくて、うまく書くこともできなくて、うまく伝えることもできなくて、でも、僕は、僕は君が―――