【小説】赤

その日の夕食の赤い魚に、僕はとても嫌な感じを覚えた。
自分は生前魚だったんだと主張するように、表面が細かくぼこぼこしている。
全体と比べて小さめの尾がひときわ赤くて、皿にへばりついている。
もともと魚はあまり好きではなかったが、僕はそのとれにくい赤い表面を完全に拭い去ってしまってから、やっとそれを食べ始めることができた。
それでも赤みを帯びた骨までが僕に何かを主張していた。

体の痛みと心の痛みは同じらしい。
脳のそれらを感じる部分がだいたい同じなのだそうだ。
後でそれを知ったとき僕は、運命が啓発していると感じた。

かねてから考えていたそれを決行に踏み切ったのは、なぜかそんな日だった。

僕には罰が必要だった。
そうでもしないと僕は君の前で普通にしていられないと思った。
そしてそんな内在的な罪を罰することができるのは、自分自身しか、いない。

僕は君の痛みを全くわかっていない。
わかることもできない。
わかろうともしていない、と、あらためて気づいたとき、僕はもう、どうしようもなくなってしまった。
暗がりの中、そこにずっとひとりだった君を思ってみたりもしたけれど、いつの間にか眠ってしまっていて、朝になってそれがわかると、もっといたたまれなくなった。
僕は悲しげに君を見つめ、ほとんど黙って側に座っていた。
そんな自分がうざったくってしかたがなかった。
それでも僕は君の側に居たかったから、どうにかしないといけなかった。
そうだ。
自分に罰を与えよう。
ぼくは明かりを消した部屋からぼんやりと明るい窓を見ながら、(そうしないと眠ってしまいそうだったからだ。)カッターの刃を自分に突き立てるところを難なく想像していた。

僕は少し気合を入れてお風呂に入り、体も髪も洗ったあとに、満を持して自分の剃刀のカバーをはずした。
ほとんど無心で、半ば機械的に刃を自分の左腕にあてる。
そしてひと思いにすっ…――と、いくはずだった。
剃刀を横に引いた。
なのに腕は白いままだった。
気が抜けたように、かろうじてどこにあるかわかるような傷跡を眺めた。
ほんの少しだけ、傷の両端が赤く滲んだ。
僕は何をしているのだろう。
だけど、少しでも血を流すことができれば君の側に居られると思った。
そしてもう一度、今度はさっきよりも少し強く、刃を腕に押し当てて横に引いた。
小さな傷口が滲んだ赤い線を描いたけれど、やはり流れるまでには到底及ばなかった。
細い赤い線は、臆病な利己主義者の色をしていた。
それから僕は同じことを何回か繰り返して、同じような細い線をつくった。
僕の左腕には猫が両手で引っかいたような傷が残っただけだった。

臆病な引っかき傷に、痛みを求めて生きなさい、と、運命が啓発していた。
その夜僕は、すぐに眠りについた。