【小説】知らない人

目が覚めると知らない人になっていた。
しかもなんだかぱっとしないやつだった。長い邪魔っ気な真っ黒な髪。上下ともに妙に長い睫毛。視力があまり良くないのだろう、視界がぼやけていた。枕元に眼鏡があったのでかけた。黒縁。かわいくない。
部屋も知らない部屋だった。レトロガーリーというのだろうか、昭和の少女漫画みたいな小物が散らばっている。好きじゃない趣味。

この人の体に私の心が入ってしまった、などという非科学的なことが起こるわけはないので、私はこう考えた。
眠っているうちに私は拐われて整形手術を施され、この部屋に連れてこられた。そして目覚めた。これだって随分突飛なことのように思うが、心がどうのというよりはかなり現実的な推測だろう。
部屋に何か手がかりがないかと思い、探してみた。整形手術をしたときの書類があった。しかしこの部屋はどうもやたらと生活感がある。元々誰かが住んでいたものを追い出して私を放り込んだのだろうか。その書類も、健康診断の結果やら通信端末やエステの契約書や家電の取扱い説明書なんかと一緒にファイルされていた。
写真などは見当たらなかった。

整形手術の書類にあった病院に電話をかけてみた。電話に出た受付の女の人が、言いにくそうに言ったところによると。
私はもう何度もこの病院に電話しているらしい。ここ数ヵ月、それこそ毎日。
この病院で数ヵ月前整形手術を受けた。ずっとお金を貯めて、やっと自分の理想の姿になるのだと言っていた。そして思い通りの姿になって感激して帰っていった。
その翌日から、記憶が曖昧であるような様子の電話がかかってくるようになった。
そして脳外科か精神科に行くことを勧められた。
電話の切れぎわに受付の人の声が遠目に聞こえた。またかかってきましたよ。誘拐されたと思い込んでる人の電話。

そうだった。ここにあるものも私自身も、みんな少しずつ集めて実現してきた、大好きなものたちだった。
私は病院へ電話をかけることをしなくなった。でもまだ時々目覚めて思う。これは誰、と。自分が何がしたかったのか、どうなりたかったのか、そういうものが全部遠く、他人のもののように感じる。信じて走ってきた道がふいに消え去り、自分が何もない原っぱにいると気づく。