【小説】楠本教授と水無月カンナ

楠本教授は、変わった学生に慕われることで学内で少し有名であった。
個性的すぎる性格で周りとうまくやっていけなかった学生が、教授の元で才能を開花させたという話がたくさんあった。
教授自身はなぜ彼らに慕われるのかわからなかったが、自分に寄ってきた学生にいつものように真摯に接した。そういう学生らと関わっていく内に、自分はこういう子たちと接するのが向いているのではないかと思うようになっていた。

水無月カンナを初めて見たとき、教授は、彼女にごく普通の学生という印象を抱いた。教授の中にあった、自分がこの子の個の繭からの脱皮を手伝ってやらねばならないというアンテナは、カンナに対しては反応しなかった。
実際彼女は友達も充分いて、苦もなくうまく人と関わっているように見えた。成績は平均より少し優秀で、流行に遅れすぎず流されすぎない格好をしていた。家庭環境なども問題ないようで、適量のやる気と適量の憂いでもって日々を過ごしていた。

気が付けば教授の側にはカンナがいた。他の、教授に懐いていた変な学生の誰よりも、いつもずっと教授の近くにいた。とても自然に側にくるくるくっついてきた。教授を見るその目は熱を宿している風でさえあった。教授は、悪い気はしなかった。水無月カンナは美人だった。

あるとき、カンナが教授に読んだ小説の話をした。
女の子が恋をする。それはとてもとても強い想いだった。放っておけば相手を飲み込んで壊してしまうような想いだった。女の子は相手を壊してしまいたくなかったのでその想いを制しようと自分と闘っていた。相手も、その女の子が嫌いではなかった。でも相手はその想いに飲まれてしまうことに恐れをなして逃げ出した。そんな内容の話だった。
一緒に闘ってあげればいいのに、と教授は言った。あるいは女の子が想いと闘うのを見守る、応援する。自分ならそうすると。
そのような女の子にこそ、自分が手を差し伸べるべきだと、教授は思った。自分はきっとそういう役割だと。

カンナが教授を好いていることは誰が見ても明らかになっていった。他の女学生が教授の側にいればとても苦しそうにしていたし、ほんの少しでも時間があれば執拗に教授に会いに行った。あの小説の話はもしかして、彼女自身を模した創作ではなかったかと教授は思った。
それなら自分はカンナを応援しよう。想いと闘うのを助けよう。教授はまだそう思った。

カンナの言動は更に酷くなっていった。一日教授に会えない日があればずっと嗚咽をもらしていた。教授の受診履歴はカンナからの着信でいっぱいだった。
教授が研究員の女性と話している場面を見たときは、カンナは二人を睨みつけながらすごい形相で自分の髪をむしっていた。

しばらくしてカンナは、精神病院に入院した。カンナの親に連絡して親切にそれを手配したのは楠本教授であった。

・・・・・・

カンナの手記にはこうある。

私にとっての脅威は自分に沸き出す感情だ。でも、先生にとっての脅威はその感情から行動する私そのものだ。それは仕方のないことだ。実際先生は私を避けるべきだ。先生にとって、先生を必要とする周りの人にとって、彼を壊さないために、彼は私を脅威と感じ、私から逃げるべきなのだ。