【小説】目眩く回文詩歌の世界

全体が回文になっている曲を作り歌うシンガーソングライター、それが回文歌手である。そしてその回文歌手のトップに立つのがこの私、秦歌羽である。
小さい頃から何事も上手くできず落ちこぼれと言われ、友達もできなかった。それが大学時代、恩師の教授の助力で私の才能が花開いた。回文歌手としての類稀なる才能である。
今世界で回文歌手として私に追随する者はいない。称賛は圧倒的に私に向けられている。動画投稿サイトの回文ソングカテゴリにおけるランキング上位を私は占め続けていた。ずっと不遇な人生を送ってきた私にはそれが何よりも嬉しかった。ここにいて良いのだと思える。私の歌を聴きたいと言ってもらえる。人に見てもらえる。私にも人よりできることがある。日陰者ではない。何もできない落ちこぼれではない。そう思えることが支えになった。トップ回文歌手であることが私のアイデンティティだった。
この座を守り続けると誓っていた。

ある時、一人の回文ストリート連歌ダンサーが名を上げ始めたという噂を耳にした。似たジャンルの若手は潰しておかねばならない。相手の土俵である回文ストリート連歌ダンスで私の圧倒的な力を見せて、軽く牽制しておけば十分である。怖じ気づいて、それ以上出しゃばってこなくなるだろう。回文ソングのスペシャリストである私に、回文ストリート連歌ダンスをこなすことなど訳無い。
私は彼にネットでメッセージを送って呼び出し、渾身の回文ストリート連歌ダンスを見せつけた。彼は私に拍手をと称賛の言葉を返した。当然であろう。そして彼は自分も回文ストリート連歌ダンスをやって見せた。
圧倒された。私はその時初めて彼の実際のパフォーマンスを見たのだ。回文詩歌において私以上の者などいるはずもないから見ても無駄だと思っていたのである。
認めたくなかったが、言葉にしたくなかったが、心の深層で思わざるをえなかった。彼は私より上である。まだ世に出て間もないのに。私よりずっとパフォーマンス歴も短いのに。
私はこの男を早急に越えなければならない。なに、少し油断しただけである。慣れなかっただけである。私が回文詩歌で負けるはずがない。

それから私はすごい勢いで回文ストリート連歌ダンスの動画を撮りまくり、動画投稿サイトに上げまくった。寝る間も食う間も惜しんで、ぼろぼろになりながら連日投稿した。止まらなかった。
勝てなかった。その後、彼の動画も見てみたが、明らかに人気が違った。信じたくないが、私の回文ソング動画さえ、彼は超えていた。
そんなばかな。私のアイデンティティはどうなるのか。これだけが私、私が生きていていい理由だったのではないか。私はどうしても彼に勝たなければならなかった。
ダンスでパンツを見せてみたり、えっちな歌詞を書いてみたりした。だめだった。人気は出なかった。

ネットのメッセージにおける彼とのやりとりは続いていた。そのやりとりにおいて私はこの自分の彼に対する激しい嫉妬をおくびにも出さなかった。そうしてしまえば私はより大きなダメージを被るからである。私がこんなぽっと出の若手をライバル視しているなどとは絶対に知られてはならない。

悔しい。悔しい。悔しい。私は毎日、一時も休まず彼のことを考え続けた。強い感情を向け続けた。だから勘違いしてしまった。私は彼のことが好きであると。
そして私は彼に告白し、振られた。
彼は私のことなどちっとも気にしていなかったのである。ライバルとしても、異性としても。
その二つのことはより私に悔しさをもたらし、より彼のことを考えさせた。彼のことを考えれば考えるほど悔しさが募った。嫉妬と恋慕が相乗的に両方の感情を強めた。
私は更にすごい勢いで動画を撮り続けた。人気は落ちていった。私はまた何もできない落ちこぼれに戻った。