【思考】この視点3/役割か副産物か

前野隆司『脳はなぜ「心」を作ったのか』も、脳の処理における一つの役割(経験を物語として圧縮して保存しやすくする)を果たすものとして、この視点があるという話をしていて、方向性がとても興味深い。でもその役割として視点が適任であるとはいまいち思えなかった。

脳の処理において視点が何かの役割を果たしているという方向がまず一つ。
他に、副産物として生じたという方向。車の正面のライトとかが顔に見えるとか。それぞれがそれぞれの役割を果たしていたら、全体として意図せず視点が生じてしまった、という可能性。その場合、視点が生物学的に何かの役にたっている必要はない。しかし、人間のような生き物になるとそれは視点が生じちゃうよね、という道筋がほしい。どういう副次的な動きが視点を生じさせたか。

身体の部分の中で、痛みを感じる部分と感じない部分がある。爪や髪は切っても痛くない。その違いは神経が通っているかどうかだろう。つまり視点は脳と神経系の動きを有機的に見ている。(人間的に、物語的にみたいな、視点の、処理器官に不適切であるような感じとり方を有機的と言いたくなる。本来の有機的の意味とは違うけれど。)今さらのようだが、視点が感じるものごとは、脳と神経系に依存していると思われる。