【小説】後のない祭り

この村には年に一度開かれるお祭りがあります。何でも好きな願い事を叶えてもらえるお祭りです。
その年私は友達がほしいと願いました。私は独りぼっちだったのです。お祭りの火を囲んでいるとき、同じ年くらいの知らない女の子が話しかけてきました。話が合い、お祭りの間ずっと一緒に楽しみました。こんなに気の合う人は他にいないだろうと思うくらいに、一緒にいて楽しかった。一生友達でいたいと思いました。お祭りが終わりその子は帰っていきました。そしてもう二度とその子を見ることはありません。このお祭りで叶えられる願いは、その日限りで終わりなのです。

恋人がほしいと願ったこともありました。この人なら一生側にいたいと思えるような人に会うことができました。そしてお祭りが終わればその人の存在は幻になるのです。

華やかなコンサートを見たいと願ったこともありました。しかしお祭りが終わり、音楽が消えてしまうと前よりも寂しい気持ちが残るのでした。
私自身がそういう華やかなものの中にいたこともありました。村の音楽隊に所属していたのです。それは楽しいことでした。しかしきっと、元から私は華やかな世界からはじかれていた。何かが間違っていたのです。楽しいと同時に、それはひどく寂しいものでした。
非日常的な楽しみというものは、なんだかいつも寂しいものです。

私が欲しいのは年に一度の大きな楽しみなんかではない。いつでもそこにあるような小さな楽しみなのです。


長老に聞いてみました。どうしてこのようなお祭りがあるのでしょう。長老は答えました。
私たちは人生の中で色々なものを失う。それらの喪失はいつも突然やってくる。これだけは放したくないという大切なものも、始まったばかりの楽しみも。そういうときに悲しまずにすむように、失うことに慣れておく。その為にこのお祭りはあるのだと。
小さな楽しみが、失われないわけではない。いつもそこにあるような小さな楽しみ。それこそ失われたときの辛さは相当なものだ。だから瞬発的な大きな楽しみを失って、もっと辛いことの練習をしているのだと。

ある年から、そのお祭りはなくなってしまいました。願いを叶えてくれていたものの力が尽きてしまったのだそうです。
ただ、名残として、火を焚いて踊るだけの普通のお祭りが残りました。私はその年のお祭りで村のお婆さんと友達になりました。ちょっと楽しくてちょっと気が合うようでした。
お祭りが終わっても、もちろんそのお婆さんは消えていませんでした。でも、数日後にその人は亡くなってしまいました。もう相当なお年だったのです。私はその人を親しく思っていました。でも悲しくありませんでした。何かが失われることは当然だからです。
私はまた何かを得て、そして失うでしょう。それを繰り返していくでしょう。それは嬉しくも悲しくもないことなのです。