【小説】ねんたぱる

金星に留学して一年。ここの言葉もかなりしゃべれるようになったし、三本箸も上手く使って食べられるようになった。十歩歩くごとに一度スキップを入れる歩き方にも慣れた。友達も増えた。恋人も百人できた。
随分馴染んだものだ。我ながら、こだわりを持たず、そこでのやりかたに寄り添っていこうとする精神を持ち合わせていると思う。
異文化の中に入り、知らなかった考え方をより深く知る。それによって、自分の考えの幅が広がる。それが何より楽しい。だから自分とは違う文化に興味を持つ。自分とは違う人と仲良くなりたい。だからここに来たのである。
 
そんなある日。すれ違う人々が目をそらしていくような気がする。なんだろう。
いぶかりながら過ごしていると、友達の一人がおずおずと声をかけてきた。
ね、君はねんたぱるのは嫌な人なの?
ねんたぱる。知らない単語だった。説明を頼んでも辞書を引いても、広い意味を持つ単語をぐるぐるするだけで、よくわからない。
や、いいんだよ。別に責める気はないというか、無理にするもんじゃないし。宗教上の理由とかあるかもだし。うん、嫌なら別に、ね。
友達はそう言った。今日すれ違う人たちの様子が変だったのも、自分がねんたぱっていなかったからなのだろうか。
他の数人の友達とも同じような会話が繰り返された。
あ、別に嫌なら、ね。ほら、それぞれの主義とかあるかもだし。
うん、そうそう、人はそれぞれ違うんだし。
そう、しなくても悪い訳じゃないよね、うん。
困った。もちろん、ねんたぱりたくないわけではない。むしろここにより馴染むために是非ともねんたぱりたい。しかしそれが何を意味するのかわからないのだ。
あー…、うん。そうだよねー。
そう応じるしかなかった。わからないと言える雰囲気でなかった。言葉の意味は説明してくれた。今彼らはねんたぱっているのだろうか。彼らをよくよく観察してみても、いつもと違う点は見いだせなかった。
 
地球の家族に通信で愚痴を言った。
家族は金星の言葉を知らないので、辞書の「ねんたぱる」の項をそのまま伝えて、今日あったことを話した。
ね?意味わからないでしょ?
通信機の向こうで家族が言う。
へえ、それのことねんたぱるって言うんだ。で、あんたほんとにねんたぱってなかったの?そりゃだめでしょ。どうしたの、あんたそんな子じゃなかったのに。
固まってしばらく言葉が出なかった。いったい何なのだ。ねんたぱるとは。しかし地球人である家族が分かるのなら説明してもらうことができる。地球語に訳すと何なのか聞いてみた。
え、訳語なんてないわよ。地球ではしないものね。でも金星だったら当然ねんたぱるでしょ。意味?だから、さっきあんたが読み上げたその辞書に書いてあるとおりじゃない。急にはみ出し者気取ってないで、ちゃんとねんたぱりなさいよ。じゃあね。
通信は切られた。
私は広い宇宙の直中に取り残された。