【小説】独り

書く労力ですか。
別に苦労して書いているわけじゃありません。自然に出てくるんです。書かずにはいられない。休日に遊びに出ることやお酒を飲むこと、趣味の旅行なんかを、皆さん苦労してされているわけではないですよね。それと同じです。
だからもちろん書いた物を読んでもらって認めてもらおうとかファンが増えて関わりができたらなんて思って書いているわけでは全くありませんよ。

たくさんの人に認められている?
おままごとですよ、ただの。たくさんの人って、人じゃないじゃないですか。私の作品を読んでくれていることにしている役のものはたくさん配置されていますよ。でもそれだけです。そういう設定にしているだけですよ。なんとなくそうしてみたんです。

ええ、もちろんそうですよ。人でないという、「設定」ですか?それが、おままごとなのではなく、人でないものに私の書いたものの読者という設定を与えているのがおままごとなんです。もちろん。彼らを直視すべき?ファンをそんなふうに言ってはいけない?何を仰るんですか。私は彼らを愛しく思っていますよ。自分の小説の登場人物と同じくらいに。彼らは私の大切なお人形です。あ、もちろんあなたもそうですよ。私の大切なお人形。いやだ、こんなことを言うと世界観が壊れてしまいますね。失礼いたしました。大丈夫です。今のは独り言です。ちゃんとあなたがた一人一人に人間に接するようにして関わるつもりでいますよ、私。

あなたのこともちゃんと先生とお呼びしなければなりませんね。そういう設定ですもの。私は精神病患者で、あなたは私の主治医。そういうことでしたものね。
だけれど私、ときどき少し寂しくもなるのです、先生。この世界に本当の人間は私一人なのですもの。だからこうして人でないものに話しかけたり、小説を書いたりするのかもしれませんね。

読者、出版社の人、書店の方々、買い物に行った先の店員さん、ご近所の方、友達、先生--あなたや、夫や娘。みんな人でないもの。どうして私はただ一人人間として生じたのでしょうね。私もお人形なら良かった。それなら「私」などと言う者は無く、結局、"何も生じなかった"ということになるのでしょうけれどね。

恵まれているのに?皆に愛されている?何を仰っているのですか。

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以上がこの人気作家の患者が受診に訪れたときの記録である。少しずつ認識を改めさせていく必要がある。なお、仕事は今の状態でも出来ているようなので続けさせて問題なかろう。ただ執筆意外の生活でこのようにたまに妄想からの言動が現れるので注意が必要である。


外の世界と繋がっていると思うと寂しい。窓を閉めた。