【思考】恋のやめ方3/手の中にあるもの、ないもの

手に入らないもの、入っていないものに目が向く現象全体を、もう皆、恋と呼んでいい気がする。お金がなくて買えないもの。もっと良い暮らし。好いてくれる人との時間でなくて、好きな人との時間。今出来ることや得意なことでなくて、才能がなくて手に入らない夢。
今手の中にある素敵であるはずの物たちにあまり価値が見いだせない。手の中にない物たちに価値を感じる。どうしようもなく。それはきっと、単純にやめようと思ってやめられるものではない。自分を好いてくれるこの人に価値を感じよう。片想いのあの人に価値を感じなくなろう。そうしようとしてそうなれるものでもない。
『【小説】片想い治療法』のような仕組みを信じられた瞬間は片想いのあの人の価値を感じる状態をやめられるだろう。その瞬間をどうにか長引かせる。仕組みを復習し続けて。それは一つの方法だろう。
それにしても手の中の素敵なものたちが無価値に見える現象は不思議だ。これは、一万円札が紙にしか見えない、通貨の仕組みを忘れてしまった状態のようなものか。つまり、手の中の素敵なものたちがいかにして自分に恩恵を与えてくれるか、仕組みを忘れてしまっている状態?うーん、否、やはり他の物すなわち手に入っていない欲しいものに価値を感じるのと相対的に手の中の物に価値を感じられなくなっているのだ。仕組み云々ではなく。お金に例えるのはよろしくないな。お金は交換可能というところに重要な点があるから。
片想いのあの人に焦がれながら、且つ、自分を好いてくれる人に充足するとか、もっと良い暮らしに焦がれながら、且つ、今の暮らしに充足する、そういう状態は考えにくいだろう。
そんなふうに、手の中の素敵なはずのものに価値を感じられず、手に入らないものに価値を感じてしまっている状態。その困った状態を何とかする方法は一つではない。
・手に入るものに価値を感じるようになる
・手に入らないものに価値を感じないようになる
・手に入らないものを手に入れる
・手に入らないものをどうしても入らないと納得できる状態にする(壊すなど)
さっきすぐに思い付いたものを含めて、分けて、とりあえずこれくらいはあるだろうか。
一つ目のように手に入るものに価値を感じるようになれば、相対的に入らないものに価値は感じなくなる。二つ目のように入らないものに価値を感じなくなれば入るものに価値を感じるようになるだろう。
つまり、上記四つの結果はこういう状態になる。
・入るもの:価値あり、入らないもの:価値なし
・入るもの:価値あり、入らないもの:価値なし
・入らなかったが入ったもの:価値あり、元々手にあったもの:?
・入るもの:価値あり?、入らないもの:ー
四つ目では手に入らないものは考えの枠組みの外に出るだろう。そして入るものが相対的に無価値に感じていた状態は解消されるのでこちらに価値を感じられるようになる、かな。普通の人は生身で空を飛びたいと本気で願ったりはしないだろう。そのような種類の願いのように、思考の外に出る。元々の願いが。
一つ目、二つ目の結果は、さっき言ったような流れで同じになる。三つ目はごり押しで偶然に頼っていて今後に良くない影響を与えそう。。少なくとも必勝法ではない。一、二、四のどれかの方法で解決できたら良さそうだ。頭の中で四つ目の方法を実行することが二つ目と同じだと考えたらどうだろう。現実的に壊すのは乱暴だが、頭の中でなら大丈夫だ。
四つ目はつまり、「諦める」と呼ばれるようなことか。否、その中の一つのパターンだな。

例えば、どうしても破れない金庫が目の前にあるとする。その中にだけ欲しいものがある。そして鍵は存在しない。すぐ近くに欲しいものはある、それだから手に入る可能性はあるはずだ。そう思うのは混乱である。距離だけで手に入る入らないは決まらない。
自分の買った宝くじの番号が当選番号から数字一つ違いだった。前後賞もない。全然違う番号だった場合より悔しく感じるだろう。
趣味も性格も相性ばっちりで、これはいけると思っていた恋が破れるのは、その逆できっと無理だと思っていた片想いが破れるよりショックが大きいだろう。
そういう状況が恋を発生させる。あと少し、と思い込ませるような状況が。
そういう混乱を解消するにはどうすれば良いか?論理を学ぶことか?しかし人間の認識が完璧ではないので心理学的にそういう混乱をしてしまうものなのかもしれない。ではその前提を知った上で自分の精神状態をどう操縦していけば正しい認識にたどり着けるのか。

健康の要が腸内細菌であるように、道は意外なところにあるのだろうか。