【思考】恋のやめ方6/一桁違いの宝くじを悔しがらない

例えば、どうしても破れない金庫が目の前にあるとする。その中にだけ欲しいものがある。そして鍵は存在しない。すぐ近くに欲しいものはある、それだから手に入る可能性はあるはずだ。そう思うのは混乱である。距離だけで手に入る入らないは決まらない。
自分の買った宝くじの番号が当選番号から数字一つ違いだった。前後賞もない。全然違う番号だった場合より悔しく感じるだろう。
趣味も性格も相性ばっちりで、これはいけると思っていた恋が破れるのは、その逆できっと無理だと思っていた片想いが破れるよりショックが大きいだろう。
そういう状況が恋を発生させる。あと少し、と思い込ませるような状況が。
そういう混乱を解消するにはどうすれば良いか?論理を学ぶことか?しかし人間の認識が完璧ではないので心理学的にそういう混乱をしてしまうものなのかもしれない。ではその前提を知った上で自分の精神状態をどう操縦していけば正しい認識にたどり着けるのか。
 
惜しくてもだめだった、ということを早く納得すること。
途中まで良かったという過程は結果には何の影響もない。一桁違いの宝くじは全桁違いの宝くじと同じ価値しか持たない。途中まで完璧で最後の最後に致命的間違いをして不味くなった料理を、過程が良かったからといって無理に食べようとするのは賢明ではない。
この場合の惜しい、などということは論理の世界を離れて人間が勝手に作った概念だ。実際の結果としては、いけた、と、だめだった、の二種類しかない。
 
休みの日が同じ、趣味が同じ、性格が合う、近くに住んでいる、お互いの好みのタイプである等々、相手を好きで、これはいけると思っている。
宝くじの当選番号が一桁ずつ発表されていて、あと一桁、今のところ全部合っている。
しかしある一点によって相手は自分を好かなかった。最後の一桁は違っていた。
ここで、他の合っていた条件を、合っていた最後以外の桁を、惜しい、もったいない、と思ってしまう。それが問題である。
この仕事は自分に合わないと確信したのに、既に資格試験の勉強についやした時間をもったいなく思ってしまう。もう興味がなくなった趣味を、これまで長く続けていたという理由でやめられない。間違ったもったいなさ。それが問題である。
合っていた桁に注目してしまって、もう終わったことを捨てて次に行けない。それこそ無駄なことだ。
 
全部合わなければ意味を成さないことについて、部分的に合っていたところにもったいなさを感じてしまう。
将棋で、今までやろうとして手を費やした作戦をやめることを躊躇する。それがない点でロボットは強いそうだ。株の売買などでも、ダメだと思ったらこれまでのことは忘れて早く切るのが得だろう。
 
部分的に合っていた桁に意味はない。心が反発しても、なだめすかしてやっていく。それが賢明な態度かな。特効薬が見つかるまでは。
そのくじが、待てば当たりになるということはない。早く捨てて次のくじを買え。(あるいは宝くじを買うのはやめよう。)