【小説】夜行バス

夜行バスの待ち時間にはストレッチをする。立ったままできるやり方で。横にいる人に邪魔にならないようにできるだけ真上真下に動きながら、しかし全身を伸ばす。他の人はだれもやっていない。これをやるだけで乗車後の快適度が随分違うと思うのだが。
引っ越して一年半たち、夜行バスに乗るのも大分慣れてきた。定期的に帰省しているわけではないが、時々用事があって帰る。金がないので常に夜行バスだ。
トイレ対策、足のむくみ、首、腰対策と夜行バス乗車時の装備は乗る機会を重ねる度に増え、そして次にだんだん減っていった。慣れると、ちょっと数時間乗るくらいの気分で乗れるようになるのだ。そうやって気負わずにいたほうが楽に乗れるし、気合いが減るのに比例して荷物も自然に減った。
夜行バスに乗るとき一番大事なのは、寝ようとしないことだ。寝なければと思わないこと。これはおそらく眠れない夜と同じだろう。イメージは電車でうとうとしているときだ。しばらく座ったままでいいし、揺れは心地よいし、うとうとする。あれを一晩味わえると考えるのだ。(ただし渋滞した場合気持ち悪い揺れ方をするときもあるので首枕は一応装備しておいた方がいい。気付かないうちに隣の人にもたれてしまっているのではないかという不安も回避できる。)
そして椅子には深く座る。そのほうが腰が痛くならないし、横になる姿勢から遠いほうが寝なければという考えも捨てられるし電車でうとうと感も得られる。

待機場所でバスが来る時間を待つ。椅子のある場所なら荷物を下ろせて楽なのだが、ない場所も多い。リュックを背負ったまま伸びをして待つ。大きな待機場所なら、係りのお兄さんお姉さんたちが声を張り上げて来たバスの名前を読み上げ続ける。自分の乗るバスの時刻と名前が読み上げられる。バスの前に行って並び、自分の名前を告げる。席番号を聞き、バスに入り、そこに座る。荷物は網棚に上げる。
私は女なので隣は常に女の子だ。全ての女の子は可愛いので隣は常に可愛い女の子だ。女に生まれて良かったと思う。男の場合は隣がおっさんであった場合、辛いと聞いた。私はおっさんも好きであるが。
ゆっくりもぞもぞと狭い車内の通路から人が入ってきてそれぞれの席に潜っていく。気付かないうちにその動きが終わり、唐突にバスが動き始める。交通法で義務付けられているらしいシートベルト着用がアナウンスされる。締めたほうが落ち着くし、締める。その他の注意事項、サービスエリアに停まる時間、到着時間などもアナウンスされる。
コミュ障にとっての一番の難関は、後ろの人に椅子を倒して良いか聞くタイミングだ。あるいは夜行バスでは皆倒すのでわざわざ聞かない文化なのかもしれない、という迷いもある。しかし既に無難な角度に倒してあるバスや、一斉に倒すタイミングをアナウンスしてくれるバスもあり、助かる。倒し方に関してはあまり角度を取りすぎると余計に疲れるような気がしているのだが、そこはまだ研究途中である。
深夜であるため、窓のカーテンを開けるのは禁止である。それがまた、守られているような感じがして少し良い。基本的に心が引きこもりなのである。エアコンがついているので、普段つけっぱなしで眠らない人はマスクをしたほうがよい。喉がやられてしまうのだ。そしてフード付きの服が便利である。フードを被れば顔が見られずより引きこもり感が味わえるし、髪が背もたれに擦れてぐちゃぐちゃになるのも防げる。大概毛布の貸し出しがある(各座席に置いてある)が、大きさは様々なので、少し暖かめの服を用意しておいたほうが無難だ。足が意外と冷えるので注意したい。

目をつぶり腕を組み、寝た振りをして周りとの隔絶状態を確保する。寝ようとしないとは言いながら、実際はこの時点で大分意識はぼんやりしている。これも一つの、為さずして成すというか、望みと行動を切り離すことなのかもしれない。もしここで寝られそうだと喜んでしまうようならまだまだである。寝ようが寝まいがどうでもいいと思えるまで修行し直しだ。

窓の外が見えない状態で、体はバスの揺れだけを感じる。今はまだ一般道だろう。今曲がった。止まった。また走り出した。高速道路に入れば、一定の短い時間ごとにゴトンゴトンという軽い上下動を感じる。道路の継ぎ目なのだろう。
目をつぶって、少し意識が薄らいで、この揺れだけを体が感じている。幼い頃を思い出す。両親が旅行好きで、小学校の頃ぐらいには長い休みの度に国内のどこかに旅行に行った。いつも父の運転する車で行った。幼かったので行き先が何県なのかなどは理解していなかったが、私なりに楽しかったのだと思う。旅行が始まる前は、あと何週間、あと何日、と数えて楽しみにしていたし、旅行が終わって帰るときはとても寂しかった。
両親ともとても真面目な人だった。私は、大人は皆完璧超人なのだと思って育った。二人ともずっとフルタイムで働いていたのだが、毎朝家中を拭き掃除してから仕事に出掛けていた。
子を持つ親とはこうでなければならないと私は心の奥で思っているのかもしれない。私は子供を生んでいない。
親たちは仕事が忙しい中で、子供に関わることにも欠けがあってはならないと思っていたと思う。教育者であった父は持ち前の楽しい工夫を凝らして私たちと遊び、関わってくれた。それが私には本当に楽しかった。こどものように無邪気で、楽しいことを思い付く天才であり、しかし頼れる子供たちのリーダーである。それが父であった。この高速道路の継ぎ目の揺れを感じてうとうとしていると、子供の頃の安心を思い出す。
父の巧みな関わり方で私はまんまと勉強好きになった。この社会で子供は年齢に応じてある程度の遊びと、あとは学校の勉強に励むべきである。その流れにそった道徳を父も素直に信じていたと思う。実際他の子に比べて私にとって勉強は楽しかったのだと思う。言葉と音楽の魅力を教えてくれたのも父であった。あと祖母。
母は彼女なりにいつも必死だった。倫理と世間体とアイデンティティの恒常的危機にがんじがらめにされた中で子供たちと楽しむことを望んでいたと思う。
両親とも、人に迷惑をかけなければ何を趣味とすることも応援してくれたし、ジェンダーなどばかばかしいと思っていただろうし、ラジカルな人たちだったと思う。
ただ、社会的に良い人間であること、社会的に優秀であることは二人ともにとって絶対的な善であったようだ。年齢に応じた量の勉強や、学校に行くこと、ちゃんと働いて、あわよくばできるだけ良い学校に行き良い会社で働いて税金を納めること。おそらく個人の幸せもあるがそれより、生まれてきた人間の社会に対する責任として、これらが全ての人間に生まれながらに課されていると信じていた。
幼い頃の私は、それを果たせる人間になると信じて疑われず、個人的幸せも願われて、愛されて大人たちの中でゴトンゴトンと揺られうとうとと幸せだった。
完璧になり損ねていた部分も多いにあったにせよ、彼らは完璧を演じ続けたし、私もそれを微塵も疑わなかった。

座ってうとうと揺られているだけで目的地に着く。父の車。母の自転車。夜行バスはそれらに似ている。今ではむず痒いような絶対的な安心を思い出す。

眠りに落ちていたという自覚はないのだが、時間を持て余しもせずに、いつの間にかバスは目的地に着いている。
子供時代は終わっている。