【小説】思い出しファザーコンプレックス

ここに来たとき父は私より小さなアメーバ状のものになったので私にはもう父を見分けることはできない。
太陽が地球を飲み込もうとするとき、人類はここへ移住した。ここは当時彼方(あちら)などと呼ばれていた。難しいことは良くわからないが、違う次元のようなものなのだろうか。ここではかつての物質的身体を保つことはできなくて、それぞれが精神の有り様に合った形を取る。
父のようにアメーバ状になったものもあれば、私のようにナメクジ状になっているものもある。中には人間の形を保っているものもある。そういうものたちは気まぐれに私を拾って側に置いてくれたりする。
前のご主人のことも、その前のご主人のことも、私はとても慕っていた。大好きだった。その想いだけが思い出せる。ご主人たちがどういう顔で名前でどういう様子だったかは思い出せない。きっとまだこの辺にいるのだろうが、見かけたとしても私にはわからない。ご主人たちにとっても、一度放してしまえば、たくさんのナメクジ状のものを相互に見分けることはできないだろう。
今のご主人のことも私はとても慕っている。人間の形を保っているものたちはここでも、他の人間の形を保っているものたちと社会状のものを作って生活している。ご主人もそうである。
ご主人を見ていると私はときどき、自分が人間だったころの、人間だった父を思い出す。優しくて優秀で私などにも無邪気に構ってくれる人間。
このアメーバ状のもののどこかに父はいるのだろうか。あのころの父の習慣を引き継ぐ心理学的ゾンビが、この細胞の海のどこかに。
などと、私も溶けかけながら思う。