【小説】千手さまと一人の愚民

僕は周りの皆より、たいていなんでもよくできるみたいだ。躍りで一番高くまで飛び上がれるし、かけっこも一番だ。千手さまにもらうミカンの皮を上手に剥けるし、十より大きい足し算ができるのも、僕しかいない。
そういうところを見ると、皆は僕をすごいと誉めてくれる。僕は皆に褒められるのが大好きだ。
僕はこんなによくできる。だから僕には生きる価値がある。そう思えるからだ。
 
時がたった。あるとき気がつくと、木登りができなくなっていた。足し算がわからなくなった。皆に褒められることはなくなっていた。
千手さまは何よりもすごい、と、いつものように皆が話すのが聞こえた。僕は今まで千手さまは千手さまなので自分と比べることを思い付かなかった。でも本当は千手さまが一番だったんだ。僕は一番じゃなかった。これではいけない。
僕は一番じゃないといけないんだ。
 
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彼がいつもちゃんばら遊びに使う木切れを持って千手さまに向かっていくと、千手さまはどろでできたクラゲのようにぐにゃりとへこみ、木切れごと彼をその体内に抱き止めました。そして彼に何事かを囁かれたかと思うと、急速に収縮し、収縮し続け、世界を飲み込んで弾けました。辺りにはシャボン玉のような泡宇宙がたくさん生まれました。
 
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僕は千手さまと一緒にしんでしまったのだと思う。でも僕は満足だ。最後に千手さまが、いい子だと褒めてくれたから。