【小説】趣味の話

「趣味は何をなさっているんですか」

「映画鑑賞です。午後から毎日三本ほど見て。午前は評論を書いています」

「私はバンドを組んでまして。サードアルバムのレコ発ツアーで全国回り終えたところです」

「僕は化学が好きでして。毎日早朝から日付が変わるまで研究所にこもりきりで」

 

機械化が進み、生活や娯楽に必要なものは全てロボットが作ってくれるようになった昨今。人間は労働から解放され、余った時間は全て趣味に投じられるようになっていた。金銭を得るためでなく、みな自分の好きなことに時間を使った。趣味は仕事に取って代わったのである。

 

大学四年生は、卒業後、どんな趣味をやっていくか真剣に考える。趣味を選ぶ活動、趣活である。

趣味が無いものは「無趣味」と言われる。かつては仕事の無いものは「無職」と呼ばれていたらしい。

「今の完全失趣味率は~で…」テレビが伝える。「失趣味者に対する政府の対策が望まれます」

今は本当に良い社会だ、好きなことに自分の一日の時間のほとんどを使える、賃金労働に縛られていた時代など人々は奴隷同然だった、信じがたいよ。そんな声もよく聞かれる。

 

彼は大学卒業間近になっても趣味を見つけられなかった。彼の叔母ーー彼女は人一倍趣味人間だーーが言った。

「あなたは毎日退屈そうにしているわね。趣味を探してこなかった報いよ。私がこうして好きなことを見つけられたのはたくさんのことに興味を持ち、やってみてきたからだわ」

彼は押し黙っていた。

彼にはわからなかった。まず何かに興味を持つことは、やろうと思ってできることだろうか。何かに興味を持てれば。何かを好きになれれば。楽しいと思えれば。どれだけそう願ったことだろう。興味がないことでも、重い心を引きずってやってみた。今までそうしてきた。好きなことが見つからない分、叔母よりもずっとずっと多くのことを試した。笑顔を作ろうとした。しかし何も楽しいと思えなかった。心動かされなかった。

できればずっと眠り続けていられればいいのに。

しかしまともな人間として見てもらうには趣味が必要なのだ。

考えながら歩いていると川原にさしかかった。何人かの人がそこで石を積んでいた。石は風や自重ですぐに崩れてしまうようだった。彼らは無表情に石を積み続けていた。中の一人に尋ねてみた。

「何をしているのですか」

「趣味です」

「失礼ですが、楽しいのですか」

その人は口ごもった。もしかして、と彼は思った。彼らは…。

そして卒業後、彼はその川原で石を積む人達に加わっていた。

叔母や親は嬉しそうにしていた。

「やりたいことが見つかって良かったわね。あなたもきっと好きなことと出会えると思っていたわ」

石を積みながら彼は思った。旧時代の人達はこんな気持ちで「仕事」をしていたのだろうか。空虚だった。時間が過ぎるのが遅くて、一時間に何度も時計を見た。

そしてこの川原の自分達や、また、きっと他の趣味をやっている人もきっとそうだろうが、必ずしも誰しもが好きなことに出会える訳じゃない。出会えるかどうかは運不運でしかない。好きなことをやっている人だって、皆がそんなに毎日夢中になれる訳ではないだろう。

役所の建物にかかった垂れ幕に標語が書いてあった。

好きなことに熱中して笑顔で生きる幸せ。

彼はこう言いたかった。

運良く何かを楽しめたら、それはどんなに幸せだろう。