自分が見えているコップを相手も見えていると言えばそれが幻でないとわかる。
「さむいね」と言って「さむいね」と返ってくれば、自分の感じている寒さが風邪による悪寒などではないとわかる。つまり物質世界の中の気温の低下という同じ要因がそれぞれの感覚器官にあたえた感覚だとわかる。(同じ感覚質が生じているかは別問題。)
それはときに大いに安心をもたらす。
現実に関する感覚の一致。
それが崩れたときどうか。
暑い国の人が寒い国に行って、寒い寒いと言っていたら周りはみんな全然寒くないと言う。それは幻を見ているのと少し似ていないか。幻を見るような寂しさ、不安と。
そのような場合、自分の感覚を修正していく必要があるだろう。幻が見えないように脳を慣らしていくのだ。
物質世界にある要因から感覚器官という段階だけでなく、常識や習慣というレベルではどうか。
常識や習慣は、こうなったらこうするという、個々人の中にあるプログラムのようなものである。それは我々が、機械の中にあるなんらかのプログラムが実行されたとき、その過程を特に意識しないように、個々人の自分の中のプログラムもほとんど意識されることはないだろう。それらは自然に実行されるのみである。
そのプログラムが周りと一致しないときも、同じことであると思われる。すなわち、幻を見ているような状態。バグが生じているような状態。
正しいプログラムに修正する必要があるが、誰も正しいプログラムのソースを知らないので(彼らは自分の中に書かれたそれに従うだけである)、バグを持ったものは周りを観察し、予想するしかない。