【小説】部屋

ここはどこだろう。

目を覚ましたら薄暗く、床が少し冷たく感じられた。
まわりはコンクリートのようだったけれど、人が住むための部屋のような気がした。
近くに人の気配は無かった。
窓は無かったけれど、空気はさほど汚くない。
まだ完全に覚醒していない頭は少し、まどろっこしい不快感を覚えていた。
部屋の一角に、やはりコンクリートのドアがあった。

這って行ってドアを押すと、重くはあったがするりと開いた。
僕は目をつぶった。
窓の外がどんな様子だったかは憶えていない。
だけど、なぜかそれがすべての始まりだったような気がするのだ。

 

八月の陽気が街を包んでいた。
高校一年。
僕は気ままな夏休みを過ごしていた。
ずっと読みたかった長編小説を読んだり、昼前にまどろんだり、ここ数年でずいぶん弱小になった蹴球部にたまに顔を出したりしながら。
ゆっくりと雲が空の真中に上ってゆくように、毎日は過ぎていった。
夏休みも後半に差しかかったころ、そのころよくつるんでいた友達が変な話を持ちかけてきた。
近くの山―というか、少し奥まった所にある古い建物に、何か涼しそうな噂がたっているから行ってみようと言うのだ。
よくありそうなことだ。

長い休みはまだしばらく続きそうだから惜しむこともなさそうだ。
彼の、まわりにまで溢れて充満した好奇心につり込まれて、僕はそこへ向かった。
肝試しには不似合いな、よく晴れた午後だった。
自転車で40分ほど走って、さらに数分歩いたところにその建物はあった。
無機質に汚れたコンクリートの壁をツタが装飾していた。
昼間であるためか、怖いという感じはほとんど受けなかった。
建物のそばの池に雨上がりの木洩れ日が反射して、むしろ神秘的な雰囲気さえかもしだしていた。
建物の入り口は鍵がかかっているようで、動かなかった。
一階に窓は無い。
隣の木に登ればもしかしたら二階から中が見えるかもしれない。
太り気味の彼はその役目を僕に託し、建物から少し離れたところで木に登る僕を見守った。
平凡な容姿、平凡な頭、平凡な家庭で育った僕は、その平凡な運動神経でもってなんとかその木に登った。
二階の窓が目の前に見えた。
光の加減で中は見えないが、鍵が開いている。
木と雨どいに足をかけて手を伸ばせば窓を開けることが出来た。
彼はそわそわした様子で下から何か言っている。
比較的大きな窓だったので苦も無く中に入ることが出来た。
途端、僕は意に反して建物の中に落下し、ずいぶん痛い思いをした。
手を、少しすりむいた。
窓は高い位置にあったらしい。
僕のわっという叫び声に反応して、外にいる彼はさらに大きな叫び声を上げていた。
周りを見ると、落ちたところは吹き抜けになっていた。
息苦しいほどではないが、埃っぽい。
怖くない程度に明るい建物の中を歩くと、ドアが取り外されている部屋がいくつかならんでいる中に一つだけ、ドアの付いた部屋があるのに気付いた。
そのドアは開いていた。
建物の構造的に、その部屋だけがういているというか、妙な感じがした。
ドアのある側の反対側の壁に、もう一つドアがあった。
先の、鍵のかかっていたドアだろうか。
入ってみるとその部屋はなぜか、埃っぽさが無かった。

薄明かりと、ちょうどいい疲れと暑さが心地よい。
僕はいつのまにかそこで眠りそうになっていた。
外でだれかが繰り返し叫んでいる。
「帰ろうよ」と…。
かろうじて残っている意識の中で、なぜか僕はここへ来てしまったことをひどく後悔していた。

 

1984年8月21日。
その日、僕は生まれた。

さいころから繰り返し見る夢がある。
あまりいい夢ではない。
気が付くと、コンクリート造りの部屋にいる。
ドアを開けると、僕は生まれる。