【思考】退屈、ルーティン、いつもと違うこと

毎日の生活の中にルーティンを組み込むと、頭を使わないですむ。新しく考えながら何かをすることを回避できる。
いつもの朝御飯を食べる為の動作が一定なら、いちいち頭を使わないですむ。朝御飯の内容がある程度固定されていたら、毎日これは健康に良いだろうかとか美味しいだろうかとか考えなくてすむ。固定されたその朝御飯を食べていればいつも健康にいいし美味しい。
ラジオ体操をしてピアノで指の練習をして夜のニュースを見るというルーティンがあり、それが退屈しないですむものなら、それらをしている時間は新しく頭を使って他の楽しいことを探すことなくしても楽しく過ごせる。
習慣に埋没していて、新しいことを考えなくても良い状態。心理学的ゾンビと呼びたくなるような状態、部分。

いつもと違うことをすることは頭を使う。神経を使う。疲れてしまう。メンタルの弱い人や認知症患者は特にそうであろう。
いつもならこの曜日にここに行く。持ち物も服の感じもいつも通りでいい。家を出る時間もいつもどおり。それが知らない場所でいつもと違う行動をしなければならなくなった。そうなると、目的地に時間通りに着くには何時に家を出ればいいか。交通手段はどうすればいいか。服は、持ち物は、行った先でどう行動するか、一から考えなければならないことはたくさんある。覚えられないので書き出す。大仕事である。

毎日の生活の中でルーティンの網が張られていない時間が存在するなら、その間は何かをしなければ退屈である。そのとき自らの心身や周りにとって無害なことができればいいのだが、そうとも限らない。そんな空白の時間(毎日長くそれがある場合も多々あるだろう。)にも、考えるということは疲れるので、既に頭の中にあるいくつかの行動の候補から、何をするかが選ばれるだろう。簡単な暇潰し。冷蔵庫を開ける。周囲にあるものを調べる。

こう考えると退屈はよろしくない。
健康やお財布によくない暇潰しに走ってしまうことも多々ある。
ならば、毎日の時間のすべてを無害で楽しいルーティンで埋めてしまえればよいか。そうすると、ルーティンと違うことで、何かしなければならない時に困る。本当は毎日同じことをして過ごせる環境があればよいのだろうが。