「あの子の革」という商品がTwitter上で話題になった。出荷された牛の革の断片をチャームにして、その牛のプロフィールというか思い出の記録を付けて売っている商品だ。
https://twitter.com/grotesque556/status/1286912443499737089?s=19
エシカルビーガンと動物製品生産者はわりとバーサスな関係にあると思っていた。畜産を無くせば動物製品生産者は廃業に追い込まれるからだ。
しかし二者の持っている感覚は近い場合も多々あるのではないかと今回のことで思った。(もちろんどちらに含まれる個々の人々もまとまった同じ考えを持っているわけではないので大局として。)むしろ一般の動物製品消費者がこの二者と違う感覚を持っているのではないかと。
ビーガンと生産者は、肉や革とその元の生き物との繋がりをリアルにイメージする。
消費者はしない。
消費者の状態を詳しく言うと、肉や革の元が生き物だという「事実」に対しては、何を当たり前のことを、と思っている。生き物が肉や革になる現実的なイメージ、具体的な工程やその図や加工された後の動物の首などのことを考えることは拒否する。(イメージを受け入れつつ気にせず消費する人もいるだろうが、両立できない人が多いだろう。)
肉や革の元の姿のリアルなイメージがもたらされたとき両立できないタイプの消費者はどうするか。一つ、イメージを拒否して消費を続ける。一つ、食べたり使ったりすることをやめる。
前者を選ぶ人が多いのはなぜかと考える。肉食(雑食)者が菜食者と話すときによく出る言葉として、あるいは「あの子の革」の作り手さんが書いている(*1)ように、彼らは言う。
「美味しいから」
(そうか、私がベジタリアンになったのは肉を美味しいと思っていなかったからなんだな)
*1
https://twitter.com/masa_0720/status/1271289116290764802?s=19