【小説】まものの子の話

昔あるところにまものの親子がいました。

まものの子は狩りが上手くできませんでした。どんなに息を潜めて近づいてもすぐに獲物に気付かれてしまうし、追いかけっこになるとたちまち距離を離されてしまいます。まものの子は小さな頃から一度も獲物を捕まえるのに成功したことがありませんでした。

まものの子が大きくなったある日のこと、まもののお母さんが言いました。

おまえはもう大きいのだから一人前に一人で狩りができないといけない。それができないと生きていくことができない。今までは狩りができないおまえに私がごはんを与えていたけれど今日でそれはおしまい。おまえはここを出ていって一人で生きていくのです。

そうしてまもののお母さんはまものの子を巣から押し出し、門をしっかり閉めてしまいました。

まものの子は困りました。今までだって一人で狩りができたらどんなにかいいだろうとずっと思っていました。毎日練習も頑張ってきました。ずっと一人前になりたかったしならなければいけないのも知っていました。でもどうしたって上手くいかないのです。

とぼとぼ歩いているうちにお腹が減ってきました。今は自分で獲物を捕らないとごはんを食べることができないのです。そのとき向こうのほうに小さな生き物が動くのが見えました。まものの子は息をころして細心の注意を払ってそちらへ近付こうとしました。しかし小さな生き物はすぐに気付いて、たちまち遠くへ消えてしまいました。

まものの子はますますお腹がすきました。そこら中を歩き回り、獲物を見つけてはいつも以上に必死の気持ちで捕まえようとしました。何度も何度も息をひそめ、何度も何度も全力で走りました。それでも獲物を捕ることはできませんでした。まものの子はとうとう疲れはてて眠ってしまいました。

次の日も、その次の日も、いつまでたっても狩りは成功しませんでした。お腹はどんどんすいてくるし、頭もぼんやりしてきました。お母さんはどうしてぼくを追い出したのだろう。このままではぼくは死んでしまうのではないだろうか。そう思いました。まものの子はだんだん動くこともままならなくなり、足元のコケを食んで吐き戻したりしました。

まものの子はとうとう自分は死ぬのだと思いました。死ねばもうこんなひどい空腹や転んだケガの痛みで苦しむこともない。狩りができないことを馬鹿にされ、仲間外れにされることもない。お母さんに怒られないか、嫌われないかと不安になることもない。どうして自分はこんななのだろうと夜にこっそり泣くこともない。まものの子は少しほっとしました。四肢の先が痺れて、吸い取られるかのように急激に意識が薄くなってきました。そのとき突然ものすごい恐怖がまものの子を襲いました。意識が消える。ぼくという思考の存在が永久になくなる。死の実感が増すにつれその恐怖がどうしようもなくまものの子を包みました。

ぼくなんか生きていてもしょうがないのに。こんなに悪い子なのに。それに空腹も悲しいのももう嫌なのに。どうして死ぬのがこんなに怖いのだろう。

まものの子は自分を襲う感情を呪いました。もう苦しみたくないという気持ちが増せば、消えることへの恐怖も同じだけ増しました。死んだほうがいいという気持ちと死にたくないという気持ちがどこまでもどこまでも大きく膨らんでいき、まものの子の心の中でものすごい死闘をしました。どちらの気持ちも嵐のように殴りあい噛みつきあってアザだらけの血だらけになりました。自分の心の中のことですから、まものの子はその全部の痛みを感じました。もうその苦しさでわけがわからなくなるころ、まものの子の心はふと静かになり、彼はもうからっぽだったはずの最後の力を振り絞って黙って立ち上がりました。そうして体を引きずって暮らしていた巣まで戻りました。夜でした。巣では彼の母親がぐっすり寝ていました。それを見下ろしながら彼は口の中で呟きました。

ぼくは狩りもできないダメで悪い子だ。生きる権利なんてない。でも死ぬのは怖い。だからどんな手を使ってでも生きます。ごめんなさい。

彼は母親を殺して食べました。足が遅くて動きも鈍い彼の爪や歯は、よく見るととても鋭く尖っていました。

彼がその世界に生き延びたことが彼にとって幸福だったのかどうかは誰も知りません。